9じにそとへでた。
祈るといっても、祈りがただの感情にならないように。
風がふいた。雨がふった。
くもはながれて月はあかるい。
風も雨も今の日本ではこわいもの。
本当はめいっぱいあびて感じて
いれるものなのに。
でも、だからこそ、こわいものをこれから
変える、変わる。
このどうしようもない、心と体をもって。
めいっぱい風をすって、雨をあびて、生きれますように。
時間はかかっても。むだなことは何もない。
「わたくしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。」
大正12年12月20日に宮沢賢治が「注文の多い料理店」という本の序で書いています。
静かな安らぎを。
新しい希望を。
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3日前の夜に紙に書き出した言葉です。
毎日、一日一日が違います。落ち着いたり、不安になったり、感情的になったり。疲れたり、そんなエネルギーがこっちにくるのを感じたり。そんな自分を冷静にみている自分がいたり。
でもいろんな人がそうであるように、たくさんの人の愛、助け合いの気持ちによって支えられています。そして、私も支えたい。
地震がおこってから3日目の日曜日に、Molokai Dispatch(モロカイディスパッチ)というほろほろ島の地元紙に記事(手紙)を投稿しました。
ほろほろ島、本当はモロカイ島という名前なのです。
Asking for Prayers(祈りをお願いします)というタイトルで。
実は祈りとはどんなものか、ということをちっとも知らずに、ニュースを追って落ち込むよりも何かをしなければ、という想いで書きました。
モロカイ島は祈りの島といわれています。
昔タヒチからモロカイ島に侵略しようとした人たちを、島のカフナの祈りでもって島に上陸できないようにした、という言い伝えがあります。
だから、モロカイ島の人たちに書きました。困ったときの(かみ)だのみ。
でも、それと同時に、少しでも多くの人が今起こっていることを見て、感じて
「遠い日本で起こっている何か」ではなく、「地球でおこっている変化」
として祈ったり、家族やまわりの人や地球にやさしくしたりしてくれれば、という想いがありました。
火曜日には、モロカイ島で本当にお世話になっている、みやこさんという日本人の家族とその友人のこどもたちとともに、募金箱をつくって、街のスーパーや商店、本屋さんにおいてもらいました。
たくさんの人が声をかけてくれます。
そのなかでも
無償の愛ということをよくいいますが、それに近いのかな、そんなかたちを私に示してくれる人がいます。
「愛」や「祈り」というのはなんか高貴で神聖すぎて、言葉だけでは陳腐に感じでしまうけど
実は毎日の生活、まわりにある空気、もの、大地や人を大切にして、つながりを感じて
生きること自体がそいういうものなのかな、とおもっています。
これから、どんな方向にすすむかわかりませんが、
復興といったときに、元の生活にもどらず、新しい生活をしていかなければならないと思っています。
と、自分に強く言い聞かせています。
なぜなら、原発が冷却されはじめた、とかどうにかなるかもしれない、
という言葉を聞くと、つい気持ちがゆるんでしまうからです。
しっかりと、このままではだめだ、だめだったんだ、と言い聞かせ生活しなくてはなりません。
遠くにいるからこそ。
被災地で、何もないところで、人と人が支えあって生きている姿から学ばなければなりません。
最後に、
モロカイ島で集めている募金の送り先の情報を募集しています。有名人が何億、とか何千万円募金などと報道の記事でありますが、お金がどこにどうやって使われるかをしっかり見極めて送りたいと思っています。
きっと、お金があまり意味しない世の中がそのうちくるかもしれないけど
それまではこうやって使っていきたいですね。
みなさんの中で、これは!というところがあればぜひ教えてください。
それでは、よい一日をともに。
じゅんこ